人間の価値 | おわらいバカ

人間の価値

う~む


まぁ、ボクはみなさんご存知の通りのアホな人間なんですけど

「こんなアホな人間に価値というものはあるのか?」とふと考えたわけです。

まず物事を考える場合には「言葉を定義する」必要があるわけで、

今回の場合は「価値」を定義づけしなきゃいけないわけです。

定義といえば辞書なので「価値」を調べてみました。

そうすると、価値とは、

「1.物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。
   値打ち。有用性。

 2.善きもの・望ましいものとして認め、その実現を期待するもの。
   内在的なもの・手段的なものなどにわかれるが、
   特に、真・善・美など、普遍妥当性をもった理想的・絶対的価値をいう」

だそうです。


まとめてみると、

「何らかの目的を実現するのに役に立つと万人が感じる性質のこと」

のようです。

ポイントは「万人が感じる」です。

つまり、「例外があってはいけない」ようです。


たとえば、

「釘を打ちたいときに石とハンマーがあってどっちの方が打ちやすいか」

を考えたときにそりゃハンマーの方が打ちやすいと万人が答えるでしょう。

その時点で「ハンマーは価値がある」と言っても問題ないわけです。


じゃあ、このハンマーを人間にかえて考えてみるとどうなるか?


うん、なんだかなぁ。


果たして、

「何らかの目的を実現するのに役に立つと万人が感じる性質」を

人間が持ちえるのか・・・?


やっぱそんなのムリでは?


仮に、自分が言うことに一切、意見せず動いてくれる

Aくんという部下がいるとします。

で、自分には実現しなきゃいけない大変な仕事があるとする。

そうすると、雑用をAくんにガンガン気兼ねなく頼めば、

自分の仕事に全力で専念することができるので

Aくんは非常に役に立つ存在と言えそうです。


しかし、別の側面から見てみると、

一切意見しないということは、

もし間違った方向にその仕事が進んでいても指摘しないということであり、

仕事において柔軟性が失われるというマイナス面が生まれることになる。

つまり、Aくんはそういった意味では役に立たないわけです。



この例で見ると、同じ人間の中で矛盾することなく

「役に立つ」と「役に立たない」が両立しています。


なぜそんな事態が生まれるのか?

それは単純なことです。 


「人間の役割はひとつではないから」です。


ハンマーはもっぱら釘を打つためだけに生まれたモノです。

だから「価値がある」と言うことが可能になるわけです。


「人間はこれをするために生まれてきた!」って決まってたら

人間に価値があるかをひとりひとり判断することが可能になるのでしょうが、

そのような人間に共通して存在する絶対的な目的はありません。


よって、

「人間に価値があるかどうか考えること自体ナンセンスだ」

という結論に至りました。


誰かに 「おまえ、価値ないよ」 と言われたとしても

その言葉は何の意味も成さないわけです。


だから、ボクは価値がない人間ではないのです。

あ~よかった。













でもアホはアホだよ