男の勲章 | おわらいバカ

男の勲章

ツっパリサン  昔の島田紳助みたい



「ツッパるコトが男のたったひとつの勲章だって
この胸に信じて生きてきた」


ってあるじゃないですか。 嶋大輔さんの唄で。


ツッパるコトが男のたったひとつの勲章かどうかは

平和主義のボクにはわかるはずがないんですけど、

男としては、

これだっ!と思える信念っていうか、

誰に何と言われても揺るがない自分なりのスタンス

ってのが漠然としてでもあるべきだと思うんですよ。


要するに、男ならこの歌詞でいうところの「男のたったひとつの勲章」が

人によって異なるにしても、あるべきだということなんですよね。


でまぁ、みなさまがどのような勲章をお持ちなのかは存じ上げないので

よろしければご教授賜りたい次第なんですけど、

改めてボクのたったひとつの勲章は何なのかを考えてみたいと思います。



え~っとね、


考えてみたんだけど、


たぶんそれはね、



「スキあらば常に笑いを獲ろうとしているコト」 ですね。





これを、この胸に信じて生きてきた、と思う。  無意識に。


確かに、小学校3年生からその生き方をする傾向が現れるようになった。

自分自身、小学校2年生までの記憶が曖昧なのでなんとも言えないんですけど

おそらく小学校3年生からその勲章を嶋大輔から授かった。

いや、嶋大輔からは授かってない。


その勲章をこの胸に信じて生きてきたことでいろいろ学んだ気がする。

「人を笑わせることの喜び」

「スベることの怖さ」

「人の笑いに対する感覚の多様性」

「注目されることの危険性」

「テンションの制御」

「その場の空気を読むという意味」

「笑いで逃げるという手段」

「自分に対する先入観という呪縛」

「自分の性格と笑いの整合性におけるジレンマ」

「ある空間(小学校・中学校など)における自分のポジションの把握」

でしょうか。


最後の方になればなるほど意味がわからないですね。

まぁ、この中で特に自ら重要視しているのは2個目の

「スベることの怖さ」でしょうか。


やっぱりこれを若くして知ることができたというのは大きいと思います。

まっとうに生きてる人は小学校時代にスベる経験とかないですからね。

そんな人たちには不必要などうでもいい経験にすぎないわけですけど、

ボクのようなアホには結構高い経験値を得ることができた出来事です。

って小学校時代に、何回スベってんだ。


まぁ、何回スベったかはプライバシーに関わる情報であり、

個人情報保護法で保護されるべき情報なので考えないことにしましょうか。


やっぱり、いたいけな子供が小学校という第2の家とも言える場所でスベると、

死ぬんじゃないかっていうくらい焦るわけですよ。

みんなの前でスベって、

「あいつはつまらん!」とかいうレッテル貼られようもんなら

次の日から登校拒否、引きこもり街道まっしぐらなわけですからね。


そりゃ冷え切った空気を少しでもあっためようと、

スッカラカンなアタマで躍起になって考えるのは当然ですよね。


その違う意味での修羅場がその少年を成長させてきたわけです。

(冷え切った状況を打開できたかどうかは考えないで。)


スベるっていうのはホントに怖いよ。

「もう人を笑わせようなんて思わないよゼッタイ!」って

「もう恋なんてしないなんて言わないよゼッタイ!」って唄ってる

槇原敬之レヴェルで毎回誓うんですけど、また同じこと繰り返しちゃうのよね。


それはなぜかってやっぱり笑いの打率は低いかもしれないけど、

「人を笑わせたときの喜びがデッカイから」 ですわね。


10回スベっても1回大爆笑を取れたらチャラになるくらいの喜びだろうか。

だから、笑いを獲ろうとするコトはやめられない、とまらない。

かっぱえびせんに負けないくらい。



ということで、誰に何と言われようともこの勲章はだれにもあ~げないっ!














そんな言い方しても、かわいくないよ