「長い」という罪
こんにちわ、なかやまきんに君です。
9月も半ばにさしかかり、残暑がさほど厳しくはないと感じております。
今までブログという21世紀が生んだツールを用いて初心者ながら
文章を書いてきたわけなんですけど、
ボクの文章はどうやら長いんじゃないかと思うに至りました。
つまり、文章が短ければ毎日続くはずだろと考えたわけです。
っちゅうことでこれからは短めにお送りしていこうと思います。
そもそも心情を短く表現する短歌とか俳句が生まれた日本において、
「長い」ことが良しとされないのは当然のことですね。
そう考えると若者が大人の長ったらしい説教を嫌うのもうなずけます。
しかし、最近は一部の若者が「え~マジで~、それホントウケるぅ~」
とか言っちゃってて中身がない上に長ったらしいので最悪です。
まぁ、長いものは結局受け入れにくいということで間違いなさそうです。
ご多分にもれずボクにも中学生時代がありまして、
それはもう話の長いことで有名な体育の先生がおったわけですよ。
んで、ある日、学年集会的な行事でその先生がいつものように
有り難いのか有り難くないのか到底分かり得ないお話をしてたんですけど
奇跡の天使が舞い降りたのか、風が吹いたら桶屋が儲かったのか、
10秒足らずで話が終わったことが3年間のうちで一度だけありましてね、
そのときはどこからともなく拍手が沸き起こってました。
完全に話が短かったことへの賞賛の拍手だということは明らかだったので
先生は素直には喜べないといった面持ちでしたけども、
やはり一般的には、「長」は悪、「短」は正義のようです。
最近は短さだけを前面に押し出した笑いが蔓延してきていて
それはそれで嘆かわしいのですが、「短」は正義という考え方を
戦略的に利用したひとつの例と言えるのかも知れません。
言葉を扱うというのはなんとも奥深く、難しいものですね。
ということで重複しますけれども、
短めの記事を持続的にお送りできるようがんばっていきたいと思います。
孤独な戦いが今、始まる。