はんどぺーぱー | おわらいバカ

はんどぺーぱー

うぅうぅぅぅううぅぅ・・・  これ、原作。


久々で気恥ずかしさを隠せない管理人風の男です。

世間は槇原敬之さんと松本零士さんの盗作騒動で賑わっていると

風の便りっていうかテレビで聞きましたので

その騒動に紛れていっそのことこんなしょうもないブログは

閉鎖してしまおうかと画策中の管理人風の男です。


まぁそんなしょうもない画策はゴミ箱へポイしまして、

先日、映画の「DEATH NOTE」と「手紙」を観に行ったわけなんですよ。

デスノートはデスノートで大どんでん返しみたいな感じだとか

「こういう展開になるのかよ」とかそれはそれは楽しませてもらったんですけど、

その翌週に観に行った「手紙」には衝撃を受けましてね、

今までに見た数少ない映画の中でダントツの首位を根こそぎ奪って行きました。

ガンコな汚れもすっきり落ちそうなくらい根こそぎでしたからね。

何枚か汚れの落ちない洗濯物を持っていくべきだったと後悔した位でしてね。

ドメストの主成分はコレなんだって思いました。

というのも、残虐冷酷で名を馳せたボクが鼻水ズルズル涙ザァザァで。

もう本当にすばらしい作品でしたわ。

もうね、あの良さを「感動」の二文字で済ませてしまうのは

愚かだとしか思えないくらいの良さなのですよ。

いや、絶対にあの映画に「感動」という言葉はふさわしくない。

それくらい深い。

とにかく、まだ観てない人はぜひ観てください。


話はあんまり具体的には書かないですが、簡単に書くと

「犯罪者の兄を持った弟がお笑い芸人で夢を追いかけて頑張るけど・・・」

っていう内容なんですよ。


それで改めて再認識したことがあるんですよ。

映画の内容とは直接的にはまったく関係ないですが、

「笑い」って人間が生きていく上でかなり重要な役割を果たしていて

なかには自分の悲しさとか寂しさを隠蔽する目的で「笑い」を利用し

創造することで、生きることを可能にしている人もいるということですよ。

こういう人は潜在的にかなりの数でいるはずなんですよ。

そういう悲しさとか寂しさを完全に隠蔽できていればいいんですけど、

それが笑いの裏に垣間見えてしまったときの切なさというか想いというのは

直接感じ取るより何十倍も大きくなって伝わってくるんですよね。

そんな認識があったからなのかどうなのか、

スクリーンに吸い込まれるように見入ってしまいましたよ。


もともと、この「手紙」は東野圭吾さんの小説が映画化されたものなのですが、

やはり頭で考えたことを言葉で紡ぐのは非常に難しいものなのだと感じました。

学生時代は「数学とか国語とか勉強して何の役に立つんだ」とか

ブゥブゥ文句言いながら勉強してましたけど、

今になってあれほど有意義な勉強はないと気づかされました。


「数学は最初から最後まで論理を途切れないように思考を巡らせる訓練」

「国語は主張を理解して行間から感情をも読み取り、美しい表現を識る訓練」

ですからね。

ホントに「ゆとり教育世代」じゃなくてよかったです、ハイ。

近頃は「英語」に関してもっとコミュニケーション能力を高めるために

文法よりも会話を重視すべきだという風潮が出てきているみたいですが、

同じ理由でやっぱり文法重視の従来の英語教育がいいとボクは思います。


「伝わる英語」より「伝える英語」を話すためには

やっぱり文法が必要なわけですから。

文法はいわば言葉の取扱説明書なわけです。

もちろんそれは英語に限らず日本語もそれ以外の言語も。

何が言いたいのか意味不明でグダグダですが、まぁそういうことです。



















調子に乗ってる管理人は人生のふりだしに戻れ